最近の私。

もうオーストラリア来て2カ月経とうとしてるねんけど、忙しすぎて伝えたいことも伝えれなかった。今は新しい部屋も見つかって、仕事もとりあえず落ち着いたって感じ。先週の金曜日に2か月通ったカプランを卒業して、仕事始めて4日経った。
初めてカプランに来た時、フィリピンとの違いに動揺してものすごく焦ってた。理由は国籍の違いとラテン系の人たちがものすごく話せれること。自分が初日で他の人が3カ月やそれ以上通ってることは知っていたけど、ギャップについていけるのかなと心配でたまらんかった。私はフィリピンの学校の生徒の中で割と話せるほうやと持っていたから余計。でも初めの先生はめっちゃ気さくで笑顔がかわいい先生で不安は徐々になくなっていった。午前中の授業しか受けてなかったから少しでも英語話す機会増やそうとお昼ご飯は絶対に持って行ってみんなと食べたり、授業ではない会話クラスを受けたりした。そうすると、友達の輪も少しずつ増えていって友達が増えた。自分が8週間ここで通ってどのくらい話せるようになるのか全然想像できへんかった。今どのくらい話せるようになったかって言われると、詰まる言葉は減って会話はしやすくなった、でもオージーの英語には触れてないから、お客さんの英語は聞き取りにくいって感じ。カプランではスピーキングが上がったと感じる。
すぐに時間も過ぎて私はワーキングホリデービザやから仕事探しを始めたのは卒業の3週間前。仕事なんて簡単に見つかるやろうってのんきすぎるくらいに考えてて、とりあえずファームに行くかと考えていたら、あらいやだ、冬じゃないですかと。いちご農家ばかり,,,これはホストファザーからしんどいからやめときと言われたから、ファームは除外。ほんじゃ次はカフェでも働くかと思えば、資格がいることが判明。お酒を扱うにもRSAという資格が必要なことが判明。=仕事のキャリア重視。探しているうちにわかってきてかなり焦った。そして、私はユニクロという衣服店でしかバイトしたことがないことも飲食で働こうとすると不利になる。その時置かれていた私の状況は、資格、キャリアにおいて完全にメリットがない人材だった。銀行にお金があまりなくて自分で生きていこうと思っていたから、お金が尽きるまでにお金稼がなあかんしでも、家賃もかかるから、ほんまにはよしないとやばいやばいって、毎日深い深い溜息と授業に集中できない日々が続いた。でもホストファミリーの子供と犬が心を癒してくれた。でも一人になると孤独が迫ってきて泣いたりもいた。本間に情緒不安定やったと思う。おかんに帰りたいって電話したことが何回あったかわからへんし、ネットでネガティブなことを検索して同情買おうとしたりしていた。この期間は1週間弱とかやったけど私にとっては何十日にもわたって続いてるような気がした。実は初めはAupairっていってべビーシッターして食いつなごうと思ったけど、住み込みやと土地も重要やし、値段もそんなよくなくて一回受け入れたけど、やっぱやめて、他のお店に面接うけたりレジュメ渡したり。もう見つからへんって死にそうになってた時、日本の求人サイトで求人見つけて、ジャパレスで面接受けた。本間はジャパレスだけでは働きたくないっていうプライドがあったけど、すべがなかった。受けると働いてる人はすべて日本人で会話は全部日本語。オーナーは今すぐはたいてくれる人をほしかったようで私はそこ落ちた。その次の日に韓国人の友達が紹介してくれた韓国人経営のお寿司屋さんに面接行ったらもう働いてってその場で言われて採用。受かったときは嬉しがるかと思ったら、それまであった緊張状態が深すぎて、喜ぶまでに時間がかかった。というストーリーがあり、今は韓国人に囲まれて働いてます。彼らとがもちろん英語で会話してて一人韓国語話せる日本人いるから心強いし、今思うとジャパレス受からなくてよかったなーって思う。オーストラリア来ている意味ないなと思って。韓国人はめっちゃ私のこと良くしてくれて、すごい心地よい仕事場。これからはほとんど毎日働いて、好きなことができるように稼いでいきたいと思う。休みの時は学校の友達と連絡とって遊んで、いつかはサーフィンして,,,いよいよあさっては引っ越し。私はこんなつらい思いをあまりしたことがないから、例えば受験とかね、今回のことが私を大きく成長させた。だれも私を抱きしめてくれない真の心の支えがないのは本当につらかった。もっと大きい人間になろうと思う。